SANKYO

















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 「公明党、創価学会よどこへ行く」
( 週刊東洋経済 eビジネス新書 )

 

 p.35

 

 革新系である美濃部亮吉都政の後半に与党に転じてから、

 青島幸男都政の時代を例外として、公明党はずっと与党の一角を占める。

 

 p.36

 

 バラマキ色強い経済政策。看板「軽減税」にも黄信号

 

 公明党で元北海道議の横山信一・参院議員(比例区)によると、

 「公明党の果たす役割がすごく大きかった」と誇る政策の一つが

 北海道新幹線の延伸だ。

 

 (中略)

 

 与党協議に関わった横山氏は

 「自民党の北海道連の意見が

 まとまっていなかったこともあるが、

 札幌延伸をリードしたのは明らかに公明党

 

 函館に新幹線を上陸させれば、後はなんとかなると、

 『青函(青森と函館)同時開業』を公明党が言い出したときが

 (事態が動き出した)転換点だった。」と振り返る。

 

 (中略)

 

 「JR北海道の坂本眞一相談役が(北海道南部の)

 長万部での着工時の懇親会で乾杯のあいさつをした。

 そのときに、『北海道新幹線の功労者を私たちは忘れない。』

 と言って、冬柴氏の名前を挙げてくれた。」と、横山氏は語る。

 http://bit.ly/2nsyo6Z
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 『月刊宝石』1970年(昭和45年)1月号

 「青島幸男のイジワル対談」

 

 http://www.beach.jp/circleboard/ad84370/topic/1100107299119

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 p.34

 

 都政関係者を驚かせたのが、石原慎太郎都知事時代の初期、

 02 年の予算特別委員会での質問だった。

 

 公認会計士の東村氏は石原知事に、財政再建へ向けて

 単式簿記、現金主義の「大福帳」方式から、

 複式簿記、発生主義の公会計制度を導入するよう求めたのだ。

 

 これに対し石原知事は

 

 「会計の発想や方法を変えていかないと、

  中期の見通しかつかない。

 

  それがないために、国の行政のように

  行き当たりばりたりで大きなロスがある」

 

 と応じ、前向きな答弁を行った。

 

 06 年、都の公会計制度が変わり、

 都債の返済に充てるべき積立金の5300億円超の不足

 2272億円に上る多摩ニュータウン事業の累検欠損が明らかになった。

 

 石原知事は自らの背中を押した格好の東村氏を高く評価、

 知事と都議会公明党の関係が構築されるきっかけとなり

 東村氏の名前は、永田町、霞が関にも知れ渡ることになった。
 

 http://bit.ly/2nsyo6Z
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 つまり行政団体の場合、”次年度”の予算編成の時期に、

 その2年前である”前年度”の決算すら判らない、ということになる。

 

 予算編成や予算承認の段階で、

 その年度の決算はともかく

 2年前の決算すらわからない状況では、

 予算編成に決算を活かすことはできない

 

 予算編成に決算の結果を反映させられないのであれば、

 議会が決算に注目するはずもなく、

 決算処理は自治体職員にとって

 面倒な事務としか映らないのも無理はない。

 http://agora-web.jp/archives/1544750.html

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 地方公会計への複式簿記発生主義の導入に関する問題点

 → PDFファイルへのリンク

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 それまで自民党は

 創価学会批判の急先鋒といえる元毎日新聞記者の内藤国夫氏を

 公明党を弱小化するために利用してきたが

 逆に公明党と連立を組んで政権与党として拡大するために、

 それまで内藤国夫氏に自民党の機関紙「自由新報」で

 創価学会批判記事を書かせていたものの、

 それについて謝罪文をその「自由新報」に載せたのです。

 

 そして案の定その後、急展開してこの信平裁判は

 被告である創価学会側に有利な展開になります。

 

 そしてそのために裏で動いた中心的人物は

 当時自民党の幹事長代理であった野中広務氏であった

 と記してあります。

 http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/7534112.html

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 このように旧国鉄跡地民営化後の打ち出の小槌になって

 地価高騰バブルの火付け役となった。

 

 中曽根内閣の都市政策「アーバンルネッサンス」は

 旧国鉄の解体民営化を契機に

 その膨大な用地の大企業への放出が狙いであった。

 

 (中略)

 

 鹿島グループが405億円で取得した旧青果市場跡地とJR貨物駅跡地に

 「秋葉原ITセンタービル」を建設している。

 

 (中略)

 

 1998年小渕首相により「経済諮問会議」が設置された。

 

 堺屋太一経済企画庁長官がしかけて、

 1999年2月に「日本経済再生への戦略」を答申した。

 

 答申には「都市再生」を国家プロジェクトの筆頭に掲げた。

 

 都市再生プロジェクト

 不良債権処理の切り札にしようとする狙いである。
 

 http://sendatakayuki.web.fc2.com/etcgenkou/syohyou104.html

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 秋葉原UDXのビジョンで14:30から1回限りの上映となる
 『シェリル・ノーム 新曲解禁!』をひと目見ようと
 数え切れないくらい大勢の人達が集まったアキバブリッジ

 http://news4vip.livedoor.biz/archives/52215800.html
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 6417 三共

 

 【英名】SANKYO CO.,LTD.

 

 【顧客】フィールズ

 

 https://irbank.net/E02419

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 「アーバン・ルネッサンス・プロデューサー」として

 21世紀の日本の都市像を描いていきたいと思います。

 http://www.ur-net.go.jp/aboutus/

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 中曽根さんとヤナセさん ( 近代日本の家系図 )

 http://kingendaikeizu.net/seizi/nakasone.htm
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 TCJはテレビ放送の黎明期、電通の仕掛けるTVCM
 ほとんどを手がける会社になりました。


 当時のTCJにはアニメ「鉄腕アトム」準備中の手塚治虫が
 弟子をおおぜい引き連れ、数ヶ月間の研修に訪れたりしています。

 TCJはその後「エイケン」と「ズイヨー」に事実上分裂し
 エイケンは「サザエさん」を、ズイヨーは「ハイジ」を作って
 それぞれに成功するわけですが

 そこに至る話はいろいろ面白いんですけどまた別の機会に

 現代のライトなアニメファンが
 ざっくりと押えておくべきことがあるとしたら、

 UPAのリミテッドスタイル、省力作画が
 TCJをはじめとする日本アニメーターの解釈を経て「日本化」※され
 手塚から虫プロへ、そしてサンライズへ
 ズイヨー→日本アニメーション→ジブリへと
 日本アニメの遺伝情報となって広く拡散してる事実でしょうか。

 http://sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-434.html
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 国土交通省で「天下り」が完全復活した。

 その中心的人物が、
石井啓一国交相だという。

 石井大臣は1958(昭和33)年、東京都
豊島区生まれ

 早稲田中・高から東京大学工学部卒業。

 81(昭和56)年に
建設省に入省し、
 道路局国道第二課橋梁係長、
 道路局
路政課課長補佐を経て、
 1992年に退官した。

 93年7月、自民党宮沢内閣時に行われた
 第40回衆議院議員総選挙に
 旧東京5区(定数3)から
 公明党公認で出馬
して初当選している。

  要するに「バリバリの元国交省キャリア」が、
 かつて自分が勤務していた省で大臣となり、
 天下りを復活させたことになる。

 http://www.yellow-journal.jp/politics/yj-00000295/
 http://archive.fo/JP1Gu
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 西川は1997年6月に頭取に上り詰めたが、
 この前後にゴルフ場は、旧住友銀行
 平和相互銀行を吸収合併した際に
 重要な役回りを演じた旧川崎定徳社長の故佐藤茂
 側近の桑原芳樹率いる住宅信販のグループにも引き継がれている。

 http://kohron.jp/index_topics.html
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 当時、内田氏は
 都議会自民党幹事長として売り出し中だったが、
 今ほどの権力はなく、公共工事の仕切り役は、
 都議会公明党のドン・藤井富雄氏だった。

 藤井氏は、05年に政界を引退し
 仕切り役、調整役の座を内田氏に禅譲
 

 (中略)

 老朽化した築地市場の移転は、
 石原氏の前任の
 青島幸男知事の時代に持ち上がったが、
 その構想を推進したのは、
 東京都港湾局長時代の石川雅已・現千代田区長で、
 臨海副都心開発部長として石川氏を支えたのは、
 前川あきお・現練馬区長
だった。

 山田氏は、後述するように
 両氏をOBとなっても物心ともに支えた。

 つまり豊洲移転は、
 石原都政の前都の官僚が
 議会や市場関係者に対する根回しを行い、
 推進してきた
のだ。

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50989
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 公共事業絡みで口利き


 公明・藤井都議が都幹部などに


 コンサルタント会社を紹介 長男が「顧問料」もらう
 


 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2004-01-08/01_02.html
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